浄土教発生の源泉や、ルーツといった原始的な佛教の姿が敦煌にあるのではないかと思っております。 大谷光瑞も同じ発想で探検隊を組織して、敦煌を訪れたのでしょう。しかし、浄土教の起源は見つかりませんでした。
私はそんな大それたことでなく、一人の人間が一つの石窟のどんな風景の下で、何のためにどんなことをして、何を念じたのかということを、 実際の現地に立って少しでも感ずることができたらいいなと思いました。この思いが、遠路を旅する動機となりました。
私が訪れてから既に約20年が過ぎていますが、当時は「莫高窟」という毛沢東の筆による額が入口の門に懸かっていました。 また、門の設立の貢献された方々の写真と名前の碑が立てられ、その中には「平山郁夫画伯」や「池田大作」の名もありました。 最近のテレビの報道からは、かなりきれいで観光重視の近代的な景色に変化しているようです。
莫高窟は492窟もあるので、短期で訪れる礼拝者や観光客はとても全部見ることはできません。 私は見学したい数窟の番号を前日に指定して、有料の案内のガイドさんをつけてもらいました。 浄土教に関係がある数窟を見学するだけで、非常に疲れました。工事現場のような階段を一日2万歩余も上下し、時には走りまわった二日間でした。
敦煌莫高窟
窟は自然状態のままで電気も空調もなく、カメラやビデオは入口で預けなければ入れませんでした。 窟の中では見学者は全員、懐中電灯を持ち、窟の研究員をしている説明者がやや大きめの懐中電灯で照らす丸い明るい部分に自分の懐中電灯の光を合わせて、 丸く照らされた光の輪の中の絵や像に目を凝らします。 入口から窟の中に刺す光は少なく、光が当たっている絵像は色落ちしていました。文化財保護の観点からこのやり方は仕方がないのでしょう。
帰路、図録や記念品を購入しようと思い立ち寄った売店で、クレジットカードで琥珀の念珠を求めましたが、当時はカードの扱い方に慣れていなく、 とても時間がかかったことが印象的でした。爆買いの現在からは想像できないでしょう
有料の石窟は50元で、45、57、286窟は、ただ見せるだけで説明員はつきませんでした。
説明つきで見学する320、220窟は200元で、午後だけ有料窟で、午前中は説明員がいないため無料でした。
浄土教関係の窟は有料で、前日までに申し込みが必要でした。有料観光窟の320窟には、仏説観無量寿経の世界が描かれています。 阿弥陀仏が真ん中に描かれ、アーチの右下には、インド・マガダ国のビンビサーラ王とイダイケ(韋提希)夫人とその息子アジャセ(阿闍世)との逆悪悲劇の場面が描かれていました。 左側にはイダイケ(韋提希)夫人が阿弥陀様の教えを受ける様子が9場面の絵物語に描かれています。 その左壁には阿弥陀浄土変相図があります。この絵像の姿かたちが日本の聖徳太子絵像に非常によく似ていることに驚きました。
このほか642年造営の記録があります220窟には、左右の壁に阿弥陀経変相図と東方薬師変相図があります。
阿弥陀経変相図の画面によりますと、延々と灼熱の砂漠が続き、一滴の雨も降らず、飲み水もなく、夜は満天の星空と凍えるような寒さで、 時には砂塵が襲い、道なき道に人や動物の白骨がころがっているという描写でありました。 この過酷な生活を抜け出して、清らかな小川が流れ、泉があり、綺麗な花々が咲き、樹々が繁茂し綺麗な鳥々がさえずり、 豪華な建造物と瑞々しい果物にあふれ、玉、宝石に飾られた部屋にやっとたどり着いた古の人々は、救われたと思ったことでしょう。 そして、これが極楽浄土だと確信したのでしょう。これが阿弥陀経の成立となったのであろうと暗い窟の中で感じました。 そして極楽浄土にたどり着いた人々は、佛を一心に念じたことが佛の導きと思ったであろうと思いました。
しかし、大雁塔で阿弥陀経を翻訳した鳩摩羅什は砂漠の亀茲国の出身なので、六法段の描写の部分は、自分の国を偲び、思い出して涙を流しながら翻訳したのであろうと聞きました。 172窟は浄土観の強い窟です。四面に千仏が描かれ、阿弥陀仏が水に浮かんだ立派な宮殿に座り両脇に菩薩を従え、その傍らで飛天が頭の上に琵琶をささげ持って奏でています。 敦煌の一番大きなロータリー式交差点の真ん中には、琵琶を逆さまに頭上に持った飛天の舞いの像があります。
その他に、290窟には観経変相図内の誕生佛が描かれ、272窟と217窟は観経変相図の王舎城城門の場面でした。 この石窟は前述のように、ロシア革命の時、逃げてきた白系ロシア人約200人がしばらくの間住み、生活をして、火を炊いたので壁画が黒く煤けて変化していました。
249窟、148窟、285窟は有料です。
61窟はイスラム教徒によって、一部破壊されていました。窟の中の仏像の顔の部分が四角く壁が削り取られて、下地がそのまま曝されていました。残念なことです。 第61窟の西奥の高さ3m余、幅13m余の壁面に俯瞰図があり住職こぼれ話12話「念仏発祥の地を訪ねて」で紹介した五台山案内図が描かれていました。 こぼれ話としては前後しましたが、敦煌への旅が五台山訪問のきっかけとなりました。
62窟・63窟などは日本の飛鳥時代の造営です。
莫高窟は浄土教の起源を感じるには最適な場所だと感じました。 しかし、文明の交差点として異文化の侵略による破壊、砂漠の乾燥による風化が今でも心残りで、後世のために何とか良い状態で保存ができないかと思っています。