浄土真宗 正信寺
正信寺
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沿革

正信寺の前身

熱心な三河門徒の多い地域である、愛知県刈谷市半城土(はじょうど)では、明治の初め、村の代表者が集まって念仏道場を作り、 それが後に寺となります。その道場主の釈改心の子、釈友教は他寺の寺男に出され、苦労して説教師となり、 師について各地の寺で布教しました。

正信寺の設立

釈友教は昭和10年に上京し、浅草本願寺で一時役僧を務めましたが、昭和20年3月10日、東京大空襲で焼け出されました。 一旦故郷に戻りますが、間もなく再び上京し、縁あって横浜市港北区の住宅で念仏の道場を開き、 布教活動だけでなく法務も行いました。 釈友教は、昭和45年に宗教法人資格を申請して認可され、浄土真宗正信寺の開基となります。

都筑ふれあいの丘への移転

檀信徒の増加につれ、昭和59年、縁あって横浜市都筑区の現在地に移転し、さらに平成21年に、 木造本堂から将来の高齢社会の到来に備えてバリアフリー、環境維持を図った鉄筋コンクリート造りの本堂となりました。

開基の遷化と公園墓地の開発

開基釈友教は平成14年、94歳の長寿を全うしました。その後は、長く会社員を勤めていた長男の釈京英が、二代目として跡を継ぎました。 平成17年、都筑区荏田南町にある「メモリアルパーク都筑」という公園墓地の開発主体となり、 それまで墓地がなかった正信寺に霊園ができ、現在に至っています。

令和3年、釋京英が高齢化のため引退し、釋英和が三代目の住職を継職しました。

親鸞聖人の教えである浄土真宗を、これからも永代に亘って相続していく覚悟です。

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