浄土真宗 正信寺
正信寺
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住職のこぼれ話(12)

念仏発祥の地と言われている竹林寺を訪ねて、10年以上がたちました。記憶をたどってみたいと思います。

念仏発祥の地を訪ねて

五台山への憧れ

以前、敦煌・莫高窟を訪ねた時のことです。沢山ある洞窟の第61窟壁一面に、五台山を描いた雄大な壁絵があり、感動をもって眺めました。 それ以来、浄土真宗の寺族として、五台山は是非訪ねてみたい場所でした。 平成14年6月に催行する「浄土真宗中国玄中寺訪問団」の募集があり、浄土教のふるさとであり、「念仏」の発祥地である五台山の山中にある竹林寺へ行くスケジュールが入っていたので、早速申し込みました。

五台山は中国北京の南西にあります。五つの峰を持つことから五台山と呼ばれます。北京空港から飛行機で約1時間の太原空港から旅が始まります。

   竹林寺の地図

竹林寺とは

竹林寺は、かつては山門・天主堂・正殿・禅堂などもある立派な寺院でしたが、二十世紀には、すでに没落しかかっていていました。 さらに、文化大革命時に破壊され、わずかに残された弘治年間(1488~1505)に建築された白搭から往時の盛況ぶりを偲ぶことができました。

竹林寺は“五会念仏発祥の地“と言われますが、それは名ばかりで、住職が称えるものが唯一の念仏ということであり、念仏に関する記録も声明の録音テープもありませんでした。 驚くことにお寺に電話もなく、荒廃しているという感じでした。

訪問した当時は復興中で、寺の関係者は「あそこに僧を育成するための学舎を建築中です」と2階建の大きな建物を誇らしげに指さしました。 今では、再興され、佛教も盛んに信仰されていることを期待しています。

弘治年間に建築された白搭

弘治年間に建築された白搭

五台念仏を日本に持ち帰った円仁

天台宗3代目の慈覚大師円仁は承和5年(838)、遣唐使の一行と共に海を渡り唐の天台山に登ろうとしましたが許されませんでした。 翌年遺唐使とともに帰国しようとしましたが、暴風に遭い難破し赤山捕に漂着して法華院に入り、翌中国歴で開成5年(840)に五台山に登りました。 その後、約6年にわたり五台山で艱難辛苦の末、いろいろな佛教の奥義を習得して、423部、559巻の経典類を持って、承和14年(847)に日本に帰ってきました。 『五台山』日比野丈夫・小野勝年共著 東洋文庫593には、円仁が自ら記した竹林寺での日々の生活や行動が現代語訳され、こと細かく記述されています。

円仁が五台山に入って先ず訪れたのが竹林寺でした。 当時の竹林寺には40人ぐらいの僧侶がいて、建物も67院あり戒壇もあり、隆盛していました。 円仁はそこに15日間留まり、円仁が訪れる二年前に亡くなった開山住職「法照」が念仏三昧を修し、創始した「五会念仏」という音楽的な唱名法に出会いました。 法照はまた五台山の西北約230km、山西省の省都で、石炭産地としても有名な太原(タイゲン)地方に道場を設けて、この念仏を広めました。 円仁はこの太原の般舟道場に7日間逗留し、念仏・音曲を学び、後に長安の資聖寺でも実際に法義を見聞されました。

円仁は日本に帰国後、比叡山の東搭に常行三昧堂を建て、習得した五会念仏などの声明・作法を研究し、広めました。 一方、弟子の相応は天安2年(858)、時の朝廷から土地資材の寄進をうけ、不断念仏・法義・儀式などを広く布教しました。 この地を中国太原の名称を日本風に「オオハラ」と変えて名付け現在に至り、地元にも親しまれています。

円仁の遺跡を求めて

急な坂を登った上に、簡素ないくつかの建物があったので、慈覚大師円仁を偲ぶ遺物を探しました。 本殿跡の前に日本の天台宗僧、上坂泰山師が建立した円仁の顕彰碑を見つけました。さらに、一軒の切妻風のプレハブのような建物を見つけ、入口の傍らに「円仁」の文字を発見しました。 しかし、中に入ると、四方の白い壁に、旗や軸が所狭しと掲げられており、写真、位牌のようなものが壇上にいくつも展示されていましたが、 きっとツアーなどで竹林寺を目指して日本から来た人々の持ち物などを掲出したのでしょう。 円仁を偲ぶ遺物ではないようでした。

荒廃した建物

荒廃した建物

念仏の起源を感じて

読経や念仏を称えることは、声明と言い、仏教修行の中でも重要なことです。 歴史を遡ると、インドでお釈迦様の存命中に「馬鳴」という仏弟子が、お釈迦様の教えを、町の辻あたりで言葉に節をつけて集まった人々にやさしく聞かせていたことが伝承されており、 これが声明の始まりと言われています。日本に佛教が伝わった当時の声明は、中国語の発音そのままでした。

五台山の玄中寺を訪れた時、庭を僧侶の一群が念仏を唱えながらきちんと並んで行列を組んで歩いて来るのに出会いました。 現在称えている念仏は、五会念仏を起源とするものだったのではないかと思います。

五会念仏は第一が低く緩やか(半声)、第二が高く緩やかに(平上声)、第三が緩やかならず急ならずアンダンテ風(非緩非急)、第四が急速調(漸急念)、 第五がナムアミ、又はナンマイの急速調(四字急速調)に称えるものです。

玄中寺門前で売っていた土産用のおもちゃのようなミニ音楽再生機を買い求め、帰国後、そこに録音された短い念仏を正信寺副住職石川慈慧が採譜したものをご参考のため次に掲げます。 正確な五会念仏ではないかもしれませんが、念仏の起源を少しでも感じていただければと思います。

採譜した楽譜

採譜した楽譜

     

参考資料

『浄土真宗中国玄中寺訪問団資料』

『入唐求法巡礼行記』 円仁著 講談社学術文庫

『五台山』日比野丈夫・小野勝年共著 東洋文庫593

『叡山浄土教の研究』佐藤哲英著 百華苑 昭和54年

『比叡山史』村山修一著 東京美術(1994)     など