『正信偈』に、「是人名分陀利華」という言葉が出てきます。
『仏説無量寿経』(『大無量寿経』)に「分陀利華(フンダリケ)」という言葉があり、中国の善導大師(613~681)が「人中の好華=妙好華」と翻訳しました。 仏教では、蓮は泥中に育ち、最高の白い華=白蓮華=分陀利華を咲かせると言い、浄土真宗では在俗の篤信者のことを言います。
加賀の千代女は歌人として有名ですが、在俗の篤信者である妙好人であったことはあまり知られていません。 今回は、加賀の千代女の二か所の旧跡を偶然訪れたことを紹介します。禅の研究者であった鈴木大拙先生(1870~ 1966)は、禅や東洋学の英訳書籍を出版されました。 浄土真宗にも造詣が深く、特に親鸞聖人の『教行信証』の英訳にも尽力しました。金沢市本多町出身です。 『鈴木大拙全集』第10巻では多くのページをさいて、「妙好人はひろく日本に分布して居るようであり、子細に調べてみると、現在の日本人の中にもかなりに多数ある」と述べています。
今から40年ほど前、大阪に単身赴任しているとき、「京の女性寺院巡り」という新聞のバスツアー募集広告を見付けて参加しました。 最初に訪問したのが醍醐寺でした。庭園のはずれに水場があり、山から絞り出したような清冽な水がチョロチョロ流れていました。 そこは、「歌人の千代さんが、朝起きて顔を洗い、化粧された場所」というガイドさんの説明でした。 そのほかには何もない場所で、正直に言って、期待外れで「なあんだ」という気がしました。
それから30年ほど後、平成19年(2007)7月、最後の一向一揆といわれる白山市の鳥越城関連の調査で、松任を訪れました。その訪問記は、こぼれ話第4話白山市の鳥越城をお読みください。
松任駅前の道路を歩いていますと、“加賀の千代の家”という入口を見付けました。そこは板塀に囲まれた、浄土真宗大谷派聖興寺の屋根がある門でした。
聖興寺の屋根がある門
木戸をくぐって古風な趣の立派な庭を進みますと、庵の壁や柱に達者な筆使いで書や絵が描かれている短冊や色紙・掛け軸が下がっていました。 その建物の奥に、傘を広げたような形をした三角屋根があるお堂のような庵があり、「千代女庵」という横長の大きな看板がありました。生涯1800首もの俳句を残した加賀の千代女の庵でした。
千代女庵の外観
千代女庵の看板
しかし、千代女が「妙好人」であったことを知り、非常に驚きました。 法蔵館から2018年1月に出版されました西山郷史氏著作の『妙好人・千代尼』によると、俳諧師として有名であるばかりでなく、書も優れており、展覧会に出品して、京都にもたびたび出かけていたようです。 おそらく醍醐寺にも俳諧や書の展示会で京都に赴いた時に宿泊されていたのでしょう。
「あさがほに つるべとられて もらひ水」
という句は誰でも知っているのではないでしょうか。
千代女がお化粧のため水場で顔を洗い、化粧をされた醍醐寺を偶然訪問していたことに、不思議な縁を感じました。
鈴木大拙先生の『禅と日本文化』(岩波新書)では、「彼女は思いがけなく目に映ったこの世のものならぬ幻(朝顔)に全く恍惚として(中略)全く我を忘れて、 日常意識に戻った時、自分が手桶を下げているのに気付き隣に出かけ、“朝顔に釣瓶取られてもらい水”という美の極致を見せた夏の朝顔を詠ませた」と解釈しています。
さらに、元の句では「朝顔に」と詠んだのを、千代女35歳の頃に「朝顔や」に変えたそうです。「に」から「や」に変化した時、千代の自我が薄まり、より大きな世界での友である朝顔がくっきり姿を現します。 つまり「に」では「水を汲みに行く」(自力)から、「や」では「仏様からの賜りものである水」を汲ませていただく(他力)ということを意味するという、大きな違いが見られると分析しました。 これには、私も目からうろこが落ちたような気がしました。妙好人千代女がこの句で、浄土真宗の教えを見事に表現していることに深く敬服しました。
千代女は元禄16年(1703)に、松任で表具師の福増屋六兵衛を父とし、母つるの娘として生を受け、幼少から俳諧をたしなんでいました。 父母は娘の才能に気づき、17歳の頃遊行俳諧の師、各務支考師から直接教えを受け、その能力を認められました。18歳の頃、金沢の足軽福岡弥八と結婚したと伝わっています。 結婚後五年に夫が、翌年その愛児も亡くなったため、松任の実家に戻ります。 (『加賀の千代尼の面影』聖興寺の草風庵より)。波乱万丈の人生の後半は尼となり、気落ちすることもなく俳諧を続けました。
「トンボ釣り 今日は どこまで行ったやら」
「破る子の 無くて障子の 寒さかな」
これらの句も、亡くなった可愛い一人息子を偲んだ句と思うと、特別な感慨を受けます。
「花もなき 身はふりやすき 柳かな」
この句も夫を亡くした時に、自分自身のあり方を柳に例えて詠んだ句です。 花もなきというのは、不幸があった自分自身のことを表し、「ふりやすき」とは、自由なという意味です。 不幸を乗り越えて前向きに生きる心を感じさせます。
「ともかくも 風にまかせて かれ尾花」
風にまかせてという言葉に、「本願他力」にうながされて、それをいただくという“安心”を表した句です。 阿弥陀仏の他力によって、必ず往生を遂げるという不動の信心をいただいた境地になったというのです。