浄土真宗 正信寺
正信寺
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住職のこぼれ話(9)

ハワイに旅行した折に、ふと見つけた日本人墓地と移民の話をまとめてみました。


ハワイの共同墓地

サトウキビ列車の車窓

1995年10月、ハワイ(Hawaii)4島への観光旅行をしました。4島のうち、マウイ島(Maui island)で、有名な「サトウキビ列車」に乗りました。

島北西の「ラハイナ(Lahaina)」から「カアナパリ(Kaanapali)」まで、昔サトウキビを運搬しており、一時はは休業していましたが、マウイ島唯一の鉄道、“太平洋鉄道”が復活して、 現在は観光客を乗せて2都市間を往復しています。懐かしいレトロなスタイルそのままの蒸気機関車が、旧式の木造の客車3~4輌を引いていました。 ほぼ満員で、窓は空いたまま、よい心地の空気でした。

サトウキビ列車

ライハナ鉄道(旅スケ より引用)

帰途、風に吹かれて何気なく窓の外の海岸を眺めていると、日本式墓地が沢山並んでいるのが眼に入りました。 ガイドに聞くと、「あのお墓は明治の初め、日本から移民してきた人々のもので、墓の正面が故郷日本を懐かしんで西に向いていて<南無阿弥陀仏>と彫られている」という説明でした。

九州の「かくれ念仏」

東本願寺学院教授の浅草皆応寺ご住職、藤井哲雄先生の導きで、平成17年6月、現地の鹿児島県薩摩、人吉、八代などの「かくれ念仏洞穴」や関係寺院を尋ねました。 八代にある正教寺の藁井信恒ご住職から、

「島津氏の真宗弾圧が強くなり、島津領内の真宗門徒が八代に逃れ住んでいる。かなりの人々が明治時代にハワイに移住したようで、ハワイの墓石に八代郡の出身とあり、 そのルーツをたどると島津領に暮らした隠れ門徒であるとのことである。その子孫がハワイ島で本願寺別院の門徒として現在も暮らしている」(同住職記『親鸞聖人伝来記』より引用)

と知りました。

ラハイナ浄土院

不思議な気がして、地図にあった「ラハイナ浄土院」へ国際電話したら原源照ご住職が出て、次のような物語を話してくれました。

「あれは共同墓地で浄土院が管理している。明治の初め熊本からの安芸門徒の移民が多かったが、「かくれ念仏」の人は聞いたことがない。 ハワイ仏教史というものはないので、その後関係者に聞いたところやはり、聞いたことがない」とfaxによる親切な返事がありました。

「昔、サトウキビ耕地内に墓地があった。貧乏で重労働のすえ死んでも僧侶はいなく、サトウキビ畑の中に穴を掘って埋めた共同墓地のようなもので、無縁となっているものが多かった。 サトウキビ農園の経営者はヨーロッパの白人で、白人の働き手は少なく、奴隷として移民を受け入れた。ヨーロッパは移民管理の技術が進んでいた。 権力を持ち、初め中国人を入れ、これがダメで、次に日本人を入れ、次にフィリピン人を入れ、人種間競争させて、人数コントロールした。 太平洋戦争時代まで、日本人は真面目に働いても差別され、同じ給料は貰えなかった。

第2次世界大戦の真珠湾攻撃後、日本人移民の二世がアメリカに協力し、ヨーロッパ戦線の442部隊に投入され勇敢に戦った。

戦後、その生き残りの軍隊兵がアメリカから奨学金をもらい、勉強してハワイに戻ってきて働き、金持ちになった。 それでサトウキビ畑から先祖のお骨を掘り出して、共同墓地を作った。お墓は日没の方向であるお浄土に向いて、墓石の表面には「法名」が彫られているものが多い。

アメリカの共和党は政策を180度転換し、同一労働、同一賃金を徹底し、人種差別を無くした。砂糖農場の耕地主の多くは日本人へと変わり、寺を作った。 アメリカは、精神的安定を図るために、民族的集会の場があった方がよいと寺を保護し、土地を無料で貸した。 ハワイに日本人用の寺は100近くある。」(原ご住職のお話を要約)

ハワイ訪問から約20年経過しており、現在の状況は変化しているかもしれません。念のため。

ハワイ移民の統計

古くなりますが、1920年の統計では、ラハイナやカアナパリの日本人の出身地は、1位広島出身683人、熊本375人。 1929年の統計では、1位広島1182人、熊本760人と他県を大きく引き離しています。 ハワイ全体の日系人比では1900年が61万人で約40%、1940年15万8千人、約37%です。

そのうち、広島県人が一番多く9884人です。(1929年『日布時事布哇年鑑』日布哇時事社刊より)

職業的には1910年当初、砂糖耕地労働者、普通農業労働者、砂糖工場労働者が圧倒的で男子約4万人(男子全体の45%)、女子約1万1千人のうち3千人(女子全体の27%)。 これが1920年には砂糖耕地労働者は減少して約1万6千人とまだ一番多いが、大工、会社員、パイナップル農業労働者、小売業などが続きます。 後に彼らは独立していき、都市では奉公人、商店、事務員、大工、漁業、運転手など、各地で日本人の主要な職業は変化しました。 コーヒー栽培、漁業、養豚などは日系人の独占事業となりました。(『ハワイ日系人の歴史地理』ナカニシヤ出版、飯田幸次著2003年刊より)