浄土真宗 正信寺
正信寺
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住職のこぼれ話(8)

親鸞聖人(以下聖人という)はご自分の事柄について、文章などに殆ど何も残されていません。 しかし、医療が発達していない鎌倉時代に90歳の長寿を全うされたので、丈夫な体だったのでしょう。 布教されるにしても関東平野の湖沼や小川などを小舟で移動したのを除き、歩く他にはありません。 歩くことは現在でも大きな健康法ですが、周りの人の文書などから聖人も若干病気に罹ったご様子が伺えます。その多くは風邪ですが、中には重症の記述もありました。


親鸞聖人のご病気

恵信尼書状

『恵信尼書状』第4~6通によると、寛喜3年(1231)4月14日(4月4日と同6通で訂正)に佐貫荘(群馬県邑楽郡板倉町)で風邪により高熱を出し重病となりました。

「風邪で腰や膝等が痛くなり、聖人は他人の介護を受け付けず、ただ静かに臥して自然に回復するのを待っていたもようである」

平成16年10月18日、小生は東本願寺学院教授の藤井哲雄先生のお供で佐貫荘を訪れました。 そこに宗願寺(そうがんじ)(別称平河御坊と呼ぶ、西念の寺)と宝福寺という真言宗の寺院があり、聖人の高弟である性信坊の座高80㎝の木像が宝福寺に祭られています。 昭和37年発見で、銘文から横曽根門徒の法福寺という寺院であることがわかりました。かつて、ここには聖徳太子が建てた祠があり、太子の立像があったそうです。

性信坊木像

性信坊木像 皆應寺藤井哲雄住職撮影

性信坊は、貞永元年(1232)秋に村人の要請で板倉沼の大蛇を退治し、その法力に感謝し、遺徳を称えるために坐像を門徒が建立したと伝えられています。 河川の洪水は大蛇が暴れたと譬えられ、水の流れを変える土木工事に優れていたので洪水を防ぎ、その感謝の意味で像を祭ったのでしょう。 板倉の地は、利根川、矢田川、渡良瀬川が近く寄って流れ、昔から洪水の災害が多く、年に数回、水難よけの祈りが行われていたそうです。 利根川沿いには水神を祭る祠がいくつもあったようです。このため、洪水の災害から救われる利益を聖人にも期待したのでしょう。


   宗願寺の地図

「本気になって三部経を千部読み、それを衆生利益のためにと思って読みはじめていた」(『恵信尼書状』藤井哲雄訳)。 奈良時代の古くから経典の千部読みは行われていました。普通、100人の僧が10回ずつか、10人の僧が100回ずつ読誦するというような千部読誦を、聖人は一人で千回読もうとされました。 これで多くの功徳を(もたら)されると信じられていたのです。

しかし、読みを重ねるうちに、「いずれの行も及びがたき身」という自覚が聖人の全身に満ちてきて、経の読誦を続けることが出来なくなりました。 そして「善信がなんとかしてあげたい」という気持ちが、どんなに自分の力を頼もうとすることかと心が痛む気持ちに反省させられたのでしょう。 聖人にとって法然上人から伝授された「念仏」の思想がここで180度大きく廻心され、自力の念仏から他力の念仏へ変わったのでした。 お釈迦様が難行苦行の自力修行から、菩提樹の下で乳粥をいただいて覚った経験に通じるような考え方の一大変化でした。

『末灯抄』8

聖人が85歳、正嘉元年(1257)閏3月3日の手紙(『末灯抄』8)では「目も見えず候、なにごともみな忘れて候…」と書かれており、 翌年の10月には咳病(咳の激しく出る気管支炎か)を患っていたことが伺えます。『蓮位坊親筆添状 慶信坊宛』

「いまごぜんのはは」宛ての依頼状

聖人の最晩年の弘長2年(1262)11月12日、常陸の門弟宛てに書かれた「いまごぜんはは」と「そくしょう房」の二人の生活面倒を依頼した手紙と、 その前日11日の「いまごぜんのはは」宛ての依頼状は、いずれも文字文章ともに乱れていて、病中に無理に書かれており、聖人の遺言状とも推定されます。 ご自身のことには一切触れず、いずれも、誰でも年をとり、死を迎える時には心身は衰えることは自然のなりゆきと窺えます。

聖人は「『末灯抄』1で「臨終ヲマツコトナシ、来迎タノムコトナシ」と述べられ、そこには聖人の往生観が示されています。 人間は年齢を重ねると、誰でも程度の差こそあれ、老化に対面することは自然のならわしで、老化に抵抗することは不可能です。 古来、長寿を願って皇帝から一市民まで儚い努力が重ねられましたが、結局どれも成功しませんでした。

聖人はこれを「自然法爾(じねんほうに)」という言葉で示されました。(『親鸞聖人の生涯-下巻』藤井哲雄著) 「自然」というのは、「おのずからしからしむ」ということで、人間の計らいの及ぶところではありません。 「法爾」というのは、「法のまま、如来のお誓いである」ということで、阿弥陀様のお計らいが人間を「無上仏」にさせようと誓っていらっしゃることで、 それは「形もなく色も無い」阿弥陀そのものの働きです。

すべての衆生は阿弥陀さまに一切お任せすることが出来るようになるのが「自然法爾」の示すところで、これが仏の智慧の不思議であると、 何の疑いも無く仏智を信じることが出来る人が救われることを、親鸞聖人は説かれたのです。