終戦から数年後に、駒澤大学に学び、新聞社に就職しました。人事部の新入社員教育の縁で、丹羽廉芳師と出会い、福井の永平寺本山への紹介状を書いて頂きました。大学までは、禅とは全く関係がなかったのですが、禅宗の本山である永平寺にお世話になるという不思議なご縁をいただきました。
丹羽廉芳師の紹介状を持って、福井の永平寺を訪問しました。そこは、深山幽谷の真っただ中のような場所でした。
永平寺では、平地部とは違い、私たちの想像を超えるほど雪が多く積もるそうです。特に平成30年2月は、約40年ぶりの大雪で、福井県永平寺では積雪量が147㎝に達したようです。永平寺は、瓦の一枚一枚が大きく、冬の積雪の重さで瓦が何枚も割れるのだそうで、私が訪問した当時は「瓦懇志」の募金箱がありました。また、かつてはエレベーターが雪解けの豊富な水量の滝を利用した発電エネルギーで動いていたとのことで、宗教の本山なのですが、進んだ技術も柔軟に取り入れる気質のようでした。
永平寺に到着すると、監院様にお目通りが許されました。まず、大きな広間に案内され、ややしばらくして右奥の部屋の襖が開き、佐藤泰淳さんという小柄の監院様がお出ましになりました。若干お目が悪い様子でしたが、真っ直ぐに畳の縁を踏まずに歩いて、向こう側に正座されました。挨拶をしたのち、部屋付きの僧侶らしき人が高坏に乗った蓋つきのお茶とお菓子を運んできて、和やかな口調で話されました。帰り際に、監院様が執筆された薄い本を数冊いただきました。よく禅を勉強するようにとのことでしょう。テレビの時代劇で、殿様が客人と謁見していたような感じでした。
つぎに、寺院を管理している役僧の長に「座禅堂で座禅して見学したい」とお願いしましたら、「何を言っているか、座禅はこの寺の尊い修行の終局である。今は何でもインスタント流行りの時代だが禅は違う。座禅堂には一歩も入ってはならない。だが、座禅堂以外は、どこでものぞいて見てもよろしい。」と諭されました。きつい語調だったのが、今でも思い出されます。座禅は、駒澤大学の新入生や初心者でもできる修行と軽く考えていましたが、本山の座禅堂は、特別な場所だということをその時に知りました。
永平寺での夕食は、大きな部屋に客が私を含め二人だけでした。
4つの膳のほか、膳の脇にさらにお皿に料理が載っていて見事でした。びっくりしたのは大きなエビのフライが載っていたことで、給仕の役僧に聞いたところ、「精進料理では、タイやウナギや貝などの料理は全部、生ものは決して用いず、他の材料を工夫し、加工してその味を付けて出します」とのことでした。「このエビ一匹は、全部昆布で形を造り、油で揚げたものです。今、食べられたハマグリの煮物は、材料は麩です。麩を煮詰めてから貝の味をつけたものです。」と言われました。「油揚げや豆腐などを工夫し、うな丼などは本物と間違うほどそっくりに料理します。」とのことで、初めて精進料理をいただき、その神髄を知りました。
最近は、健康志向の延長で、精進料理をテレビ番組で特集することもありますが、その当時は、精進料理があまり知られておらず、殺生をしないという仏教の考えと、味も見た目も見事に調理された精進料理に大変感銘を受けたことを思い出します。
宿泊場所として案内された広い廊下の左側には浴室があり、ヒノキ造りの大きな湯舟がありました。その廊下の右には畳100畳ぐらいの広さの部屋があって、そこに通されました。その大きな部屋の真ん中に絹製の布団が敷かれており、静寂の中、そこに私一人で床に就くことになりました。高貴な客人が宿泊されるときの寝室のようで、大きな部屋の真ん中で静かに眠ることに、若干恐れを感じました。その、身に余るもてなしは東京別院の監院、丹羽廉芳さんの紹介状による配慮だったのではないかと思います。
しかし、私が経験した贅沢な空間と手の込んだ精進料理とは別に、永平寺は、雪のなか列をなして各家を托鉢される禅僧の方々の様子や、庭を掃き長い階段状の廊下を拭く作務など内部がテレビ番組などで紹介され、その質素な生活が人々に広く知られ、海外からも修行に来るようになったと聞きます。修行や学問をする僧侶の方々や、また、これらの人々を指導される方々も想像以上の人数の方がいて、その方たちが、世俗とは全く離れた自然の中での生活の厳しさは、並大抵ではなく、今の私には耐えられないように思いました。その中で普通に生きていくことも、禅の心なのかもしれません。
丹羽廉芳師は後に、永平寺本院の第77世貫首になられ、ラジオでも活躍されておられましたが、惜しくも1993年に86歳で亡くなられました。
私に永平寺を紹介してくださった小川弘貫先生は、1974年、駒沢女子短期大学の入学式の壇上で挨拶中に、後ろにいた先生に、「ちょっと支えてくれ」という言葉を発して立ったままお亡くなりになりました。これを禅では、最高の亡くなり方、「立亡」というのだそうです。
今回のこぼれ話は、永平寺の訪問記のようになりましたが、禅宗本山の張り詰めた空気を感じ、禅についての知識の入り口を得ることができた貴重な経験でした。また、仕事がきっかけではありますが、このような立派な方々と知己を得たことは、私にとって大きな財産となりました。