仏舎利塔というものが至る所にあるのをご存知ですか。
仏舎利塔は、もともとは、ストゥーパといって、「塔」という意味です。卒塔婆の語源でもあります。 仏舎利の舎利は「遺骨・遺体」を意味するサンスクリット語の「sarira」から来た言葉です。
お釈迦様だけではなく、洋の東西を問わず、遺骨や墓石を信仰の対象にすることがあるようです。 私が、たまたま訪れた場所の記憶をつなぎ合わせてみたいと思います。
お釈迦様の教えや遺徳を偲んで、遺骨を信仰の対象としようとしたのですが、遺骨の所有権で部族の対立が起きました。 そこで、遺骨は分けて周辺の寺院にまつられました。 インドを統一したアショーカ王が遺骨を掘り起こし、細かく砕いて8万余りの寺院に分配したそうです。 このことから、仏舎利塔がある寺院が正当と思う人が増えたのだと考えられています。
仏教が伝来する中国では、多くの僧が仏舎利の奉納されたインドやタイに赴き、仏舎利の収められたストゥーパの前で供養した宝石類を 「仏舎利の代替品」として持ち帰り、それを自寺の仏塔に納めたそうです。 この宝石を仏舎利の代用として奉納する手法は古くから日本でも行われてきたようです。 そのほかにも、悟りを開いた僧侶の遺骨で代用するということも行われていたようです。
日本では唯一、明治33年に建立された愛知県にある覚王山日泰寺が、タイから仏舎利を寄贈されたといわれています。
両国国技館のそばにある回向院には、力士にちなんだ力塚があるのですが、それと並んで有名なのが「ねずみ小僧次郎吉の墓」です。 時代劇に登場するねずみ小僧は、黒装束にほっかむり姿が定番ですが、大名屋敷から千両箱を盗み、貧しい庶民にばらまいたと伝えられる義賊です。 それが、いつしかねずみ小僧の墓石を削って、その破片をお守りにすると、金運が良くなるという噂が広まり、墓石が削られるようになったようです。
お寺も困って「お前立」という削るための墓石を設けました。 もうだいぶ前になりますが、私たちが訪問した時には、墓石が大量に削られないようにするため、金網で囲ってありました。
長年捕まらなかった運にあやかろう、最近では受験生に「狭き門も通り抜ける」ようにということで人気が高まったそうです。 テレビ東京の番組では、墓石を入れる「お守り袋」を商店街で販売するようになったと放映していました。
平成12年に二度目のイギリス周遊の旅に出たときのことです。
私は絵を描くことが好きなので、コッズウォールに立ち寄りました。 そこには、劇作家シェイクスピアの奥さんアン・ハサウェイの実家があります。前庭に草木が茂り、草ぶきの屋根を持つ風情のある、実に絵になる家でした。
次の旅程はシェークスピアの故郷ストラトフォード・アポン・エイボンでした。 劇作家として活躍したのはロンドンですが、晩年は故郷に戻り、1616年に52歳でこの地で生涯を終えました。 ホーリー・トリニティ教会に埋葬されたのですが、劇作家としての遺徳を偲ぶため、墓を掘ってシェイクスピアの遺骨の一部を削って持ち去る人が後を絶たず、 困った家族は、高額な寄付をして礼拝堂の中に再度埋葬したそうです。(再度埋葬された理由については異説もあります。)
ねずみ小僧の墓石の破片をお守りにするようなことがイギリスでもあるのだと、実に不思議な感じがしました。 遺骨や墓石を信仰するのは、人間の本能の一部なのかもしれません。
シェイクスピア自ら書いたとされる墓碑には、次のように書かれています。
Good friend, for Jesus' sake forbear,
To dig the dust enclosed here.
Blest be the man that spares these stones,
And cursed be he that moves my bones.
(よき友よ、イエス様のために、ここに葬られた遺灰を掘ることはお控え下さい。この墓石守るものに祝福あれ、わたしの遺骨を盗むものに呪いあれ)
さすが、シェイクスピア。最後の言葉もきれいに韻を踏んでいますね。